「トルコで私も考えた 1」、「同 2」、「同 3」
「トルコで私も考えた 1」、「同 2」
加瀬さんは日本で辛い目に遭った挙げ句に縁有ってトルコに住むようになった方で、イスタンブールで日本レストランをきりもりしておられた方だそうです。でもここまで前向き人生だと、思わず応援してあげたくなってしまうのが人情ではないでしょうか。 今もお店を出してるのかなあ。 トルコに興味がなくても、人生に疑問を抱いている人に絶対のおすすめです。
「トルコで私も考えた 1」、「同 3」
同著者に「トルコ 旅と暮らしと音楽と」、 「ふだん着のイスタンブール案内」がある。
他の著書に「トルコドライブ紀行」がある。
最近はご子息まで”料理の鉄人”に登場するほど「露出度」の高い小林さんを「案内人」にビデオ・クルーとカメラマンを含むベネッセ・チームが97年秋のイスタンブルを取材した食文化紹介の本。(60数分に及ぶビデオが同梱されている。) 単なる食の紹介に堕しておらず、人のあり方、社会のあり方にまでふくらんだ内容になっているのはさすが。ただし文体は完全な口語体で、まるで録音テープをおこした速記録であるかのよう。(それがまた魅力的でもある。) 途中に挿入されるコラムの書き手として、林 佳代子東京外大助教授や、内藤正典一橋大教授、はたまた最近日本のトルコ関係テレビ番組でも協力者として名が知られつつある仁田原康子さんなどが登場し、長年の在住者ならではの情報を補っているあたりは、構成も見事。 ビデオの方は、まるでNHKの「心の旅」シリーズのように、極力編集を排した、回しっぱなしのスタイルを取っていて臨場感はあるのだが、繰り返して見たいと思わせるものではない。いずれにしても、ビデオでは本の内容に触れておらず、しかし本では再三ビデオについて触れているので、まずはビデオを見て、それから本に目を通すことをお奨めする。 なお、ビデオでは全編にわたって登場する小林女史だが、本では(非常にクオリティの高い写真が満載されているにもかかわらず)思わぬ箇所に1度だけチラっと写っているに過ぎない。このあたりの茶目っ気が彼女の魅力の一つなのだろう。
女の強さとはこういうことか‥。男にはわからぬ女の世界をかいま見させてくれた一冊であった。トルコ関連書籍であるか否かを通り越して、女性という存在そのものに関する優れた書物として大いに推薦したい。 カッパドキアの田舎村に住みついて、(なかば)無理やりに現地のおばさんと共同してじゅうたんを織り始めた著者は、織り上がるまでの数ヵ月間に日本ではとうてい味わえないような濃密な時間を体験する。現地ですら忘れられようとしていた草木染めに取り組んだり、かなわぬ恋を取り持とうと奮闘したり、いろいろな出来事に彩られた生活を送るのだが、全ての根底にはトルコの女性に対する深い愛情と哀惜の念があふれている。 一読して「こんなドラマチックな滞在記がそう易々と書けるはずがない」とか「ちょっと都合が良すぎるんじゃないの」とか思っていたのだが、巻末の著者紹介を読んで納得した。著者は「作家」なのだ。勿論全ては彼女の体験に基づいているのだろうが、台詞といい、物語りといい、結局は著者の考えを最大限に表現する文体として紀行文が選ばれたに過ぎないのだろう。登場するトルコ人達の台詞回しの良さや、筆者の考え方や感想が紹介されるくだりのまとめ方の手際の良さはよほどの推敲を重ねたとしか思えない。 10年も前にこんな素晴しい本が出てたなんて全く知らなかった。トルコに住むようになる前に読んでいたら何かが違っていたかもしれない。 同著者に「トルコ 風の旅」、「イスタンブールの目」がある。
内藤先生は一橋大学の大学院社会学研究科の教授。(前作「トルコのものさし日本のものさし」(筑摩書房)では助教授だったので、出世なさったみたいですね。)ヨーロッパに出稼ぎに行くトルコ人を研究しています。でも、この本ではエーゲ海に面したリゾートであるチェシュメで家族揃って滞在中に遭遇した日常的な出来事が親しみやすい語り口でつづられています。おいしいものに目がないらしい先生はけっこうトルコ料理にも詳しくて、バザールでの野菜や果物の選び方から、魚の料理法まで解説してくれます。 書名は旧知のじゅうたん屋のトルコ人が、著者がチェシュメに滞在していることを知ってアンカラから車で駆けつけたエピソードから。
帯の文句によると「16世紀に消えた赤いイズニク・タイルの謎をめぐって、世紀末の古都イスタンブールと小京都・津和野を背景に描かれる激しく、狂おしい大人の恋。傑作恋愛小説。」だそうです。雑誌「中央公論」に96年9月から97年11月まで連載されていた小説で、かなり濃厚な男女関係が描かれています。でも、地名や人名、あるいは会話の合間に出てくるトルコ語のカタカナ表記などは正確なようで、ひょっとしたら著者はかなりのトルコ通? 川島なお美か誰かの主演で映画化されないかと期待してしまいます。
ついに見つけました!書名だけは前から知っていたのですが、どんな大きな書店に行っても見つからず、あきらめかけていたところ、近所の古本屋にひっそりと置いてありました。 この本を探すためにあちこちの書店で「ハーレクイン」シリーズの置いてある棚を物色したのですが、おかげで、ハーレクインにもいろんな種類があること(ハーレクイン・ロマンス:イギリスの作家によるハーレクインの代表的なシリーズ、ハーレクイン・スーパーロマンス:テーマ性の高いドラマチックな長編シリーズ、ハーレクイン・テンプテーション:刺激的な恋をセクシーに描いたシリーズ、シルエット・ロマンス:アメリカの作家によるスイートロマンスシリーズ、ハーレクイン・イマージュ:さわやかな恋を現代感覚で描いたシリーズ、ハーレクイン・クラシックス:人気作家のなつかしい作品を集めたシリーズ、シルエット・ディザイア:都会的で情熱的、洗練された恋のシリーズ、シルエット・スペシャル・エディション:大人の女性の恋を描いた読みごたえのあるシリーズ、ハーレクイン文庫:バックナンバーをの声から生まれた文庫版シリーズ、そのほかハーレクインの文芸書というのもある)や、毎月10冊程度出版されていて書店にはバックナンバーを置いてないこと、古本屋にはけっこう沢山置いてあることなど、今まで気付かなかったことを学びました。 え?内容ですか?うーむ、まあその、つまりハーレクインですよ、ご想像のとおり。
「パパはバックパッカー!」と帯に大書してあるとおり、妻子持ちの著者が単身で1ヵ月近くトルコを旅して回った旅行記である。非常に私的な記述(南回り航路を利用したために滞在したマレーシアの部分や、妻子を日本に残して旅立ったことに起因する心証や電話でのやりとりなどは正直云って他人が読んで楽しい話ではない。)と細かい出納記録がない混ぜになっており、強いていえば日記文学とでもいうカテゴリーに入るのであろうか。 ホテル代や食事代がこと細かく記述されており、物価水準を知るにはよいかも知れないが、肝心のホテルの名前や地名がぼかされているので、これからトルコに行って見たいという人のための即戦力的な資料とはなり難い。
筆者は立命館大学教授。81年12月18日から20日間にわたってトルコの西半分をバスで駆け巡った一人旅(目的はあくまでも「地域経済学」上の巡検のためのはずだが、タクシーの運ちゃんとケンカしたり、どう読んでもそこらのバックパッカー顔負けの何でも見てやろう的な旅になっている)。一日中メモを取り続けながらの旅だったらしく、数分おきにバスの時速が何キロだ、目的地まであと何キロだ、と細かい記録が続く。流石に研究者らしく、あくまでも客観的な記録が多く、読んでいて安心感がある。 文中の地名などに現地音から程遠い記述が散見されるが、どうも当時の臨場感を出すためか何かの目的で意図的にやっているフシも見えるので、読者は別途ガイドブック等の地図を参照しつつ読んだ方がよい。描かれている旅そのものは81年当時のものだが、初版が95年2月(はしがきは94年10月)とあり、かなり当時の記録を元に修文を行っていると見えて、情報の古さを感じさせない。 著者略歴にある生年から計算すると当時筆者は45歳。同年配の方にとってはトルコを旅する際の安心材料になろう。
著者は元三井物産のトルコ現地法人責任者として昭和56年より4年間トルコに滞在した経験を持つトルコ通。退職後もしばしば現地を訪れているらしい。 本書では、まずこと細かく数字を挙げながら現在のトルコの経済的、社会的、政治的状況を説明。(社会学系の興味がない方にはこの部分は退屈に感じられることでしょう。)その後、トルコ人の性格や行動パターンなどを具体例をひきつつ披露し、ついで辺境部分を旅する楽しさを開陳し、最後に日々の暮らしの中で出会った様々なエピソードを紹介。著者によれば、著者自身の「生活者」としての経験を、今後増大するであろう日・トルコ関係に携わる人に紹介しようとする意気込みで、本書を上梓した由であるが、どうもターゲットは現地駐在員もしくは、その予備軍に思えてならず、留学生や長期滞在型の旅行者などはハナから相手にしていないのではないか、という思いを禁じ得ない。 文中にしばしばにじみ出る「愛国的」な表現や作家大江健三郎に対する敵意などは、著者とは一世代異なる私の年齢に近い読者の鼻につくことでしょう。
この本が出版された当時、私はイスタンブールで実際に手にとってみたものの、遂に読まずに今日まで来てしまっていた。日本に帰ってきて既に4年が経った今、ようやく本書を読もうという気になり、その面白さが解ってきたような気がした。つまり、現地に住む者にとってはあまりに当り前のことばかり描かれているのだ。夏になると水不足に見舞われて、ポリタンクに水をため込む自衛策を講ずる必要があることや、トルコの銀行に行くと行員同士のおしゃべりが終わるまでじっとまってなきゃならないことや、時に熱く、時に親切なトルコの人々のことなど・・・。 そう、当時「こんな当り前のことを本に書いて出版してどうするの?」という違和感を抱いていた在留邦人は多かったに違いない。でも、トルコに行ったことがなければとにかく何にも解らなくて当り前なんだものね。そういう人にはぴったりのおすすめです。 同著者に「トルコ 旅と暮らしと音楽と」、「トルコの幸せな食卓」がある。
あとがきによれば、愛知学院大学、歯周病学教室で年一回発行している”周学の友”という同門会誌にハマム体験記を寄稿したのがこの本を書くきっかけとなったという。同行者の言動の記録にはなったかもしれないが、他人が読んで役に立つ情報はほとんどない。
超ウルトラスーパービロビロお勧めのコミックのシリーズ物の第1巻!! ふと訪れる気になったトルコが気に入って、次にトルコ語を習うために長期滞在し、遂にはトルコ人の旦那さんを見つけてしまって住み着いてしまう・・・そんな作者はなかなかの腕前の漫画家で、本書を読み終えた私は、もう涙、涙の洪水。(おかしくもあり、なつかしくもあり。) 旅行記めいた書は今までにも幾つもあったが、トルコに対する愛着、トルコ人に対する尊敬と愛情、そして何よりトルコ語に対する思いいれ(トルコ語って本当に可愛いんです)があふれる本書は、心から共鳴できる何かを訴えかけてくる。登場人物の一人一人が懐かしいこの本は、92年前後にイスタンブールに滞在していた者にとっては、まるで書くのをサボっていた日記のように感じられるのではないか。それほどビビッドに当時を思い起こさせてくれる本書は、実は未だトルコを訪れたことのない人にとっての最良の案内書でもあるのであろう。私が東京神田の三省堂で最後の一冊を購入した時(97年3月6日の話。勿論、その後入荷していることと思う。)、平積み用のワゴンには『売れてます!!』の手書き文字が大書してあった。 なお、本書はLatifeさんにメールで教えて頂いた。記して感謝致します。 (PS 本書の文中ではどういう訳か明言されていないが、作者のご主人とは、作者が初めてカッパドキアを訪れた際に案内したというタイフン氏であるそうだ。) お待ちかね!、続編「トルコで私も考えた 2」、「同 3」も遂に出ました!
著者は大学で中近東ゼミを専攻、「トルコに長い旅や短い旅に出かけるようになって、もう十年以上」経ってしまったという。本文を読む限りではトルコ語には不自由せず、トルコ人の友人も数知れずという趣き。でも、あまりにも出来すぎの逸話も多く、ひょっとしたら創作か?という章も多い。 別著「イスタンブールの目」とは比べ物にならぬ程、センチメンタルでメランコリックな文章に満ちた一冊。著者自らが撮影したという写真は、いずれも素晴しい出来映え(特にローマ遺跡で愛を語る恋人を撮ったものと、雪のカッパドキアが美しい)で、郷愁すら感じさせる。 トルコ滞在経験者には涙がでる程懐かしさ溢れる作品。 他の著書に「エツコとハリメ 二人で織ったトルコ絨毯の物語」がある。
他の著書に「イスタンブール日本人学校」がある。
中東イスラム経済史/社会史を専門とする現職大学教授の手になる書。「トルコ」の本ではなく、 あくまでも「トルコ民族」の本である。そう割り切って読まなければ「トルコ」好きな読者にとって は(途中のアゼルバイジャンに関する章などは特に)少々退屈かもしれない。
著者は「日本に数人しかいない」ビザンティン美術史の研究者。ビザンティンとは、勿論 トルコ人が攻略するまでコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を中心に繁栄した東ローマ帝国のこと。ギリシャ語に堪能でアテネ在住。この本もギリシャに始まり、ギリシャに終わる。 しかし、ビザンティンについて語るならば、トルコを避けることは不可能。筆者もトルコをしばしば訪れ、イスタンブールやイオニア(地中海沿岸)について語る。「教師商売の悪い癖で、説明を始めると、ベルが鳴るまでえんえんと続けてしまう」おかげで読者は実に詳細な描写を読むことができる。挿入される写真も美しい。
トルコ(イスタンブール)に住んで9年になる筆者は元音楽教師。トルコの旅行会社に勤めて いたが、今ではフリーのコーディネーターになり、トルコ音楽の日本輸出も手がけている。 さぞかし苦労の多い(はず)のトルコでの生活も彼女の筆にかかれば全てが新鮮、かつリズミカル。日本ではあまり聞く機会のないトルコ音楽をサナート、アラベスク、ハルク、タベルナ、といったジャンル別に紹介したり、「サズ」(三味線のようなトルコの民族楽器)を習った経験を語ったり。読むと元気がでる一冊。 他の著書に「ふだん着のイスタンブール案内」、「トルコの幸せな食卓」がある。
筆者はトルコ好きが高じてじゅうたん屋を営むまでになったという。20数回に亘り現地を訪れている由で、名所旧跡の紹介にも細かい説明が豊富。写真がふんだんに使われており、読者を飽きさせないが、入門書としては少々取っ付きにくいかも。ツアー等でイスタンブルを訪れた後に回顧的に眺めるにはよいのでは。写真の画質の善し悪しにばらつきがあるのが難。 他の著書に「トルコ紀行 炎天乾風」、「トルコの旅はバスがいい!」がある。
長野の人と喋っていてトルコについて詳しいことに驚かされることがあるが、その理由がこれ。本書の著者はトルコ好きが高じてイスタンブルで就職してしまった長野出身の女性で、本書は彼女が故郷の信濃毎日新聞に92年9月から3年3ヵ月に亘って発表した通信記事をまとめたもの。最近の情報が、短く読みやすくまとめられており、トルコを全然知らない人に興味を覚えさせるという意味ではうってつけだが、既に「トルコに行きたい」と思い込んでいる人には少々物足りないかも。第1版にはかなり誤植あり。
NTT出版が新たに創刊した「気球の本」シリーズ第1回配本の内の1冊。 新書サイズにしては厚めの本文242頁。著者は東大東洋文化研究所教授でオスマン史専攻。 トルコ語にも堪能らしく、文中のトルコ語のカタカナ表記はほぼ正確な発音どおりで読んでいて違和感がない。内容はトルコ料理百般を歴史を踏まえつつ解説して行くものだが、文語まじりの歯切れの良いテンポが心地よく、あっと言う間に終わりまで読ませる。残念ながら文中に料理の写真が全くなく、トルコ料理を食べた経験のない人にとっては文章だけで実際の料理を想像するのは難しいかも知れない。でも、トルコを旅したことのある人にとっては、実に懐かしく、再訪を促すこと請け合い。 他の著書に「オスマン帝国」がある。
楽しい!面白い!秋葉原の書店で偶然見かけて手にとったこの本は、ホントに楽しい入門書だ。本文だけでなく、挿絵(というより、4コマ漫画になっている頁が多い)も表紙も著者によるものなのだが、これが実にホンワカさせる雰囲気でよい。さて、内容はといえば要するに女の子二人の自由旅行をつれづれなるままに書き綴ったものなのだが、訪れる土地がイスタンブルやカッパドキアは勿論、今では(恐らく当時でも)渡航自粛地域に指定されている南東部アナトリアまで含まれていて、かなり根性の入った旅だったものと想像させる。「トルコには行きたいけどチョット怖そうで心配」なアナタにピッタリです。 作者の手になるHPあり。
私がイスタンブルにいる間に著者が現地取材に訪れたことがあった。その時は、街そのものに関するこんな立派な本ができるなどと思わず、どうせ小説の中の一部だろうと高をくくっていたのだが、結局政治・経済・歴史すべてを網羅するような本となって日の目を見ることとなった。個々のトピックについてさほど深く掘り下げられてはいないが、広い範囲の話題がカヴァーされている。 いずれにせよ、イスタンブルが文芸春秋社70周年記念出版と銘打った「世界の都市の物語」シリーズ(全12巻) のうちの4番目に序せられたのはトルコのファンとしては何となく嬉しい。
著者は一橋大学社会学部助教授。ヨーロッパに出稼ぎに行き、外国人として暮らしているトルコ人を研究しておられます。この著書では90年から93年におけるトルコ社会を活写しています。(これは丁度私がイスタンブルに滞在していた時期と重なるのですが、内藤先生はアンカラにおられたようで、お姿をお見かけした記憶はありません。)中古車を買う際の苦労話や、運転免許取得のエピソードが混ざってはいるものの、真骨頂はやはり現代トルコ社会の分析でしょう。そのせいか、全体的にやや固い内容の本に仕上がっています。でも、何故トルコ人は日本びいきなのかを分析した章(「日本人への熱いまなざし」)は真面目ながら大変面白かったです。 同著者に「絨毯屋が飛んできた トルコの社会誌」(筑摩書房)がある
この作者に対しては厳しい評価をするトルコ専門家が多いのだが、その当否はともかくも、万人向けの読み物を提供してきた功績は大である。ほんの数年前まではトルコに関する本など本屋には置いてなくてトルコを知る人もまた少なかったのだから。 本書では、ケマル・パシャ(のちの初代大統領アタチュルク)の生い立ちから筆を進めて、途中トルコ語についての蘊蓄を傾けつつ、近代トルコの歩んだ道が各種のエピソードを交えながら順序よく語られて行く。ケマル・パシャの偉業に感嘆しつつ、トルコ共和国成立前夜の緊迫した歴史絵巻を味わうためには格好の入門書といえる。同じ筆者の「遠くて近い国トルコ」と併せ読み進めるのもおもしろいだろう。 他の著書に「トルコ歴史紀行」がある。
他の著書に「イスタンブールが面白い 東西文明の交流点を歩く」、「トルコの旅はバスがいい!」